この文章は修育会並河塾の講師が毎週発表している。私評の抜粋です

週刊 私評 剛史」 第11

2001411日発行

 

「体育会系実力養成論」

今週のニュース

2001年4月6日

イチローが決勝2ラン、初二塁打含む4安打・佐々木が締める
【アーリントン(米テキサス州)6日共同】米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手(本名鈴木一朗)は6日(日本時間7日)、当地のザ・ボールパークで行われたレンジャーズ戦に「1番・右翼」で先発出場し、7―7で迎えた延長10回、ジマーマン投手から公式戦初本塁打となる勝ち越し2ランを放った。マリナーズはその裏を佐々木主浩投手が抑え、9―7で勝った。

 イチロー選手は第1打席に初の長打となる左翼線二塁打を放ったほか、6打数4安打と活躍。1試合3安打以上も公式戦で初めてだった。

 イチロー外野手は通算19打数8安打で、打率は4割2分1厘になった

(日経新聞)

2001年4月9日

晴れ舞台にはやっぱり強い! 新庄、大舞台で記念の一発

 晴れ舞台にはやっぱり強かった。シーズンの開幕戦にも匹敵すると言われる本拠地での初戦で、新庄が記念すべき大リーグ1号本塁打を記録した。「あんなに速いボールをホームランしたことはなかった。来た!で振ったら(スタンドに)入っちゃった」と会心の新庄スマイル。

 ニューヨークのファンに“名刺代わり”となる一撃は、六回に飛び出した。相手投手、マーキスの3球目。スピードが約90マイル(約145キロ)の直球だったが、これが甘く入ったのを見逃さなかった。打った瞬間、本塁打と分かるような当たり。打ち終えた後。バットを後ろに大きく放り出す姿もさまになっていた。

 「大舞台に強い? 不思議ですね。自分でも怖いくらい」。笑みが自然にこぼれてくる。ホームランを打って、ベンチに戻ると、スタンドからは再度の登場を願う“カーテンコール”。新庄はダッグアウトを出て、ヘルメットを取りながらお辞儀をすると、メッツ・ファンからまた大きな歓声がわいた。

新庄は「(大リーグの“カーテンコール”は)テレビでしか見たことがなかったから、まさか自分がやるとは思わなかった」と少し照れた。地元ファンに初見参で強烈な印象を残した格好だが、主砲のピアザも「新庄はチームに強いインパクトを与えてくれている」とうれしい祝福の言葉を贈ってくれた。(共同)

(日経新聞)

思わず胸が熱くなり、涙があふれそうになりました。イチローが決勝打を放ち、佐々木が最後の回を万全のピッチングで相手打線を封じ、ゲームを締める。ついこの間まで日本で活躍していた選手がアメリカメジャーリーグの名門、マリナーズの躍進に大きく貢献しています。また新庄や野茂といった選手たちも目覚しい活躍を見せています。小説や野球漫画でも描かれなかったシナリオが現実のドラマとして進行しています。こんなに刺激的でエキサイティングなことはあまり多く見ることができません。毎日彼らの活躍が楽しみです。

彼ら日本人メジャーリーガーの活躍は自信を失いかけている日本人に勇気を与えてくれます。厳しい競争社会に身を置きながらも、絶え間ない努力によって才能を伸ばし、世界という大舞台で素晴らしい活躍を演じています。今、彼らは日本、アメリカだけでなく世界中の野球ファンの注目を浴びています。これから社会にはばたこうとしている若者、すでに社会に出ていながらも実績が挙がらずくすぶっている大人、老若男女、国籍を問わず、彼らの活躍に心を打たれた人は数多くいるでしょう。そしてその活躍の姿と自分に投影し、及ばずながらも、人生に大きい目標を掲げ、行動を起こそうとしている人も少なくないでしょう。彼らの活躍はそれだけでも賞賛に値しますが、野球というスポーツの領域にとどまらず、多くの人に勇気を与える波及効果もある点はさらに評価されるべきです。

非凡な才能と現状に妥協しない開拓精神には憧れを感じるものです。しかし彼ら才能豊かな選手たちも、ただ天性があったから活躍できたわけではなく、それに加えて相当な努力をしてきていることを無視してはなりません。幼い頃から厳しい練習に耐え、長い時間と多大なる労力をかけて実力を身につけ、才能を開花させたということにおいては、誰もが共通していることでしょう。彼らはみな等しく、少年時代から親の教育もしくは部活動の指導などで厳しく辛い練習を与えられる場―体育会系環境―で、努力を重ねてきたことでしょう。

メジャーリーグに限らず世界のスポーツ界での日本人の活躍が目立っています。彼らの多くは20代、30代前半でスポーツ人生においてはもっとも脂が乗っている時期でしょう。ビジネスの世界では30代、40代がもっとも脂の乗る時期だといわれますが、世界のビジネス界や学界でも30代そこそこの若手の台頭が目立っているようで、そのなかには多くの日本人も含まれています。彼らもそれぞれの世界で豊かな才能を発揮していますが、スポーツ選手と同じく、かなりの努力をしてきている点は共通していることでしょう。決して、天性と運だけでのし上がってきたわけではないはずです。彼らの仕事がビジネスもしくは学究で、運動に関係はないにしても、どこかで指導が厳しく、きつい修羅場を耐えてきており、これも体育会系環境と呼べるのではないかと思います。

ところで彼らの年齢に焦点を当ててみましょう。1976年生まれの私は今年、25歳。30歳まであと5年、40歳まであと15年です。もし十分に実力を養って、若手と呼ばれるうちにビジネスにおいて世界レベルの活躍をしようと考えると、果たしてこの時間は長いでしょうか、短いでしょうか。5年といえば、小学校の教育期間よりも1年短く、15年といえば、小中高大学の期間を6・3・3・4年とすれば、これにも1年足りません。これを考えると、私は一種の焦りを感じます。少なからず私にも、せっかく世に生まれたからには、名前の残る業績をあげたいという功名心があります。だから自分に厳しくして、鍛錬を重ね実力をつけなければと思います。しかし、ぬるま湯に浸かるとドップリというタイプなので、危機感を頭の片隅に抱えながらも、現状に甘えてアクションを起こせずにいます。我ながら非常に情けなく思います。

一部例外の天才もいるのかもしれませんが、真の実力をつけることは容易ではありません。自分に厳しく努力を続けること、鍛錬を止めないことには相当な覚悟と根性が要ります。世の中、「才能型人間」と「努力型人間」とがいるようですが、私は明らかに後者の部類で、生まれ持った天性の才能というものはありません。また、「努力型人間」にも2種の分類があると思います。一つは、自ら大きな目標を設定し、能動的に奮起して努力を継続できる「自力本願タイプ」と、もう一つは周囲の競争的環境の雰囲気から受動的に励まされて、鍛錬をする「他力本願タイプ」です。ここでも私は後者に入ります。私は周りに影響されてから行動を始める消極的要努力人間です。

この判定の正しさは私の人生経験が証拠となります。中学時代、運動部の中でも楽なテニス部に初め、籍を置きました。部活動は楽でしたが、遊びのようなもので実力は付きませんし、試合にも出ることができませんでした。退屈に感じたので1年でその部を辞め、今度は校内でももっとも厳しいと噂されるバスケットボール部に移りました。練習がきついことは知っていましたし、苦楽のギャップに不安も感じましたが、部活動に毎日忙しそうにしながらも楽しくスポーツをしている友人の姿に憧れましたし、その友人の薦めもあって決心しました。練習は予想以上に大変で、先生も教育問題に発展する手前くらいに厳しい体育会系教師だったので、私生活面でもだいぶ苦労はしました。しかしそのスパルタ練習のおかげで着実に体力も技術も身につき、1年半後の3年の夏、最後の大会にはチームとしても過去最高の良い成績を修めることができたので、今では充実した部活動であったと思っています。その後も高校で体育会系主義バリバリの先生に鍛えられたおかげで、今でも平均的な成人男性よりは、いくらか優れた体力と強い精神力を誇るに至っています。

こうして多少なりとも実力を養うことができたのは、自らやる気を起こし、向上心を奮い立たせて自力本願的に鍛錬をしてきたわけではありません。むしろ厳しい環境にさらされることで、環境耐性というか、免疫のような実力がついたという方が正しいでしょう。競争社会が私を育てたというべきなので、私は「他力本願タイプー努力型人間」と類別されるのです。

大学受験においても同じような現象がありました。私の出身校は県内でも上位の進学校で、学校全体が受験に対する意識が強く、競争の激しいところでした。そこで受験競争にさらされることが、私を受験勉強へと駆り立て、曲がりなりにも現役合格を果たすに至ったと解しています。自助努力を自発的に起こすことができることが理想的ですけれども、実力はつけたいが、自助努力のできない人はいっそのこと、競争の激しいきつい環境―体育会系環境―に飛び込んでしまう方が、実力養成の近道ではないかと思います。

一方、私たちの現実社会には激しい競争が実在します。毎日、至るところで見られる厳しい競争は、多くの現代人を巻き込んで、社会を突き動かしています。しかし厳しい競争環境は必ずしも強要されるわけではありません。努力などしないで楽に過ごそうと思えば、いくらでも楽にできます。大きな活躍はできないでしょうが、マイペースで肩肘を張らずに人生を送ることができます。私は中学、高校で厳しい受験勉強ときつい部活動に明け暮れたので、その反動から大学では、なるべく自分に余裕が持てるような楽な生活を送るようにしてきました。本来なら許されるべき態度ではありませんが、特に現代の大学生は社会的にそういった甘い姿勢が許される方向にあるので、その甘い環境を甘受してしまいました。

悠悠自適なゆったりとした年月を過ごしてきた過去を思うと、当時はそれを自ら認めて妥協していました。しかし最近の日本人の活躍を目の当たりにすると、彼らに憧れ夢見る気持ちになる同時に、大きな危機感と不安に悩まされるのです。今年、私は25歳になります。20代、30代で活躍する彼らと比べることに意味はなく、無謀なことと感じますが、その対比はあまりにも大きな差を見せつけ、私の姿はみすぼらしく見えてしまいます。来年は遅まきながらも、社会に出て働くことになります。いやでも競争社会にさらされるわけですが、やはり、この世に生まれたからには、名を上げてみたいという思いが私にもあります。大学時代のブランクを埋めるには今後、相当な努力が必要でしょう。現実社会では努力は強要されません。このまま、あきらめて楽な生活を過ごすこともできるでしょう。すべては私次第で、私の判断にかかっているのです。

確かに今の私の状況を厳しく評価して、将来を憂える気持ちはあります。しかしもう少し楽観的にポジティブに考えれば、この状況を社会人になる前の今、気づいたことを幸運に思います。次の私の居場所となるステージを探すため、現在就職活動をしています。自分の将来の目標を設定して、それに合う場所―企業―を探し、そこに入ることは容易なことではありません。長い不景気でどこの企業も新卒者の採用には慎重になっている現在、さらに就職には困難な状況が続いています。就職環境は苦境ではあっても、自分の意志を明確にすることを心がけているので、活動自体をあまり苦に感じることはありません。むしろ毎日の就職活動を通じて、今まで知らなかった企業の活動を見ることができたり、また今まで考えたこともなかった自分の将来のビジョンなどが見えてきたりするので、就職活動を楽しく行うことができます

自分が「他力本願タイプー努力型人間」であることを認識することができました。私は体育会系実力養成にポイントを置いて、厳しくても刺激に富んだ競争のある企業を選ぶよう就職活動をしています。

 

コメント  A氏は、ご自身のことを「他力本願タイプのー努力型人間」といわれています。
       このこと自身はとても素晴らしいことです。自分をこのように見つめ、さらに実践されている姿を見る限り、
    才能があるということです。即ち、「自分を見つめ、実践する」と言う能力がある訳です。
    このこと自体が素晴らしい才能です。ですから、A氏は才能型人間でもあるのです。
     これから社会で活躍されるためには、心と体の健康管理・豊富な経験・幅広い
    人脈・洞察力・企画力・実行力を備えた人間味ある智恵・生かされる立命を心がけ
    て下さい。A氏の今後の活躍を期待し、修育会並河塾は応援します。
         

              修育会14グループ並河塾会長  並河俊夫