プレ山中湖合宿 「わがまま事件」
修育会並河塾OBOG会  会長 K  

1987年夏、OB/OGを中心に、来賓(元横浜医師会理事長・西島一郎先生)も迎え行われた第一回並河塾山中湖テニス合宿はその成功により、その後に綿々と繋がる「夏の山中湖」を確立したイベントとしてあまりにも有名ですが(ホントか?)、その直前に、厳選された(または暇だった)視察チームにより、プレ合宿が行われていたこを御存じでしょうか?

その視察は並河先生をリーダーにO嬢(^^;)、H氏そして私、の4人構成で隠密に行われました。当時Oさんはお茶の水女子大学3年次、一方、同じ高校を同じ年に卒業したはずの私は何故か横浜国立大学2年…計算が合いませんが、同高校を私達より1年後に卒業したH君は山梨医科大学1年でしたので、私とH君が正しかったのでしょう。
 
そんなことはどうでもいいとして、先ず山中湖行きのアシの選定です。運転したがりの私の車で行くことにしました。この旅行中、「飲食歓迎」の…新車登録4ヶ月目の…私の車の後席で、こともあろうにその後長くに亘りご自分の車で「飲食厳禁」という不文律を打ち立てることになる並河先生が「K君ごめん。お茶こぼしちゃった。」と言ったことを、私は全然気にしていませんが一生忘れません。

こうして珍道中…ではなく極めて真剣な視察旅行がはじまりました。行く途中我々は非常に重要なものを忘れてきたことに気づきました。トランプです。これ無くして、並河塾のイベントといえるでしょうか?早速湖畔のコンビニエンスストアで、他のもろもろと同時に調達しました。この由緒正しきトランプはその後も何度となく使われることになりましたが、今はどこにいっちゃったんでしょうね〜。同時に罰ゲーム用の忘れ得ぬアイテムも買いましたがこれについてはここでは割愛させていただきます。

テニスをやったかどうか定かではありませんが多分やったのでしょう。というか、「テニス」は私の記憶からしばしば意識的に消されます。

夜は、4人しかいないにも関わらずトランプやファミレスでお茶という当時の定番メニューを次々にこなし深夜にまで及びましたなんといっても視察ですので、辛くても本合宿通りのスケジュールをこなさざるを得なかったのです(ウソですけど…)。

そんなこんなで並河先生はじめ4人は「ここでテニス合宿をすることはOK」という最終報告書を纏め(これもウソですけど…)帰途につくことにしました。

さて、この帰りに知る人ぞ知る事件が起こりました。Hくんは甲府市内に下宿していたため彼の下宿までみんなで送っていくことにしました。そしてその甲府市内で夕食をとることにしたのです。

そう、忘れもしない甲府のフォ○クスでのことでした。食事も終え、4人で談笑しているとき、その事件は起こりました。私をはじめ若手(^^;)3人は当時流行語のようになっていた「わがまま」という言葉を恐れ多くも並河先生に対し頻繁に使っていました。しかし、そのニュアンスが伝わらなかった先生の逆鱗に触れ、「わがままとはどういうことだ!?」という事態になってしまいました。先生にとって「わがまま」という言葉はもっとも嫌悪する言葉だったのです。

どう考えても失礼な言葉を使っていた私に非があるのは明白ですが、流行語に対し真剣に怒られたたことに対し反論(今流に言えば逆ギレですね)してしまった私が愚かでした。なんでそんなことで、そんなに怒るんですか?」とばかり口応えしたために2人の口論となってしまいました。

結局、先生が、ただの流行語であり深い意味はなかったということを理解してくださりおさまりましたが、一時は他の2人を引かせてしまうほどの激論になってしまいました。

これが、世に言う(言わないか…)「わがまま事件」です。今にして思えば、流行語だからといって失礼な言葉を使って良い道理はありませんが、そこを一歩引いてくださった先生が一枚も二枚も上手だったのですね。

それはそうと、このような口論の末の和解後、先生とOB・OGの距離が更に近くなったと感じたのは私の「わがまま」な考えでしょうか?

そのほか「雪の天山とマークII」とか「尾瀬強行軍」とか
「そういえば上高地へも行ったなぁ」
とか思い出は尽きませんが今回はこのへんで。